個人的な記憶や集団的なトラウマがデザインを生み出すことはよくある。 建築家はしばしば、コンセプトの種を蒔くために、自分自身の歴史やコミュニティの物語を利用する。
イラクのリズガリー記念碑を設計する前に、クリストフ・ツェラーとイングリッド・モイエは、生存者からアンファルの残虐行為について詳しく学んだ。 地元の石材を使い、「垂直ではなく水平に伸び、ファサードには地元の岩を利用した」低く水平なフォルムを採用することで、砂漠の傷の中に「希望の場所としてのオアシス」を呼び起こすことを目指した。 内部には、生存者の肖像画1,500枚が延々と円を描くように配置され、中央の大きな空間(再解釈された中庭)が喪失と新たな生を象徴している。 このようにして、技術的な解決策(記念建造物)は、集合的な記憶と癒しの道具となる。

リベスキンドが手がけたベルリン・ユダヤ博物館(1999年)-その鋭くジグザグなフォルム(ここでは上から見ている)は、明らかに「ドイツ・ユダヤの歴史を伝える」ことを意図している。 来館者は、傾いた壁や隙間を壊れたダビデの星や雷のように解釈し、見当識や喪失感を味わう。
ある時点で、スケッチはアイデンティティの象徴、あるいはマニフェストとなる。 ダニエル・リベスキンドは美術館の建物を設計する代わりに、ドイツ・ユダヤの歴史を語ることを選んだ。 彼は、その構造をギザギザのヴォリュームと空のコンクリートの「ヴォイド」(無条件空間)に無理やり押し込むことでこれを実現した。 ある訪問者は粉々になったダビデの星を、またある訪問者は稲妻を見る。
目に見えない大気: 感覚、ムード、記憶
建物の形や素材は目に見えるものだが、建築家は目に見えない質、つまり雰囲気やムード、感覚的な手がかりがコンセプトにとって重要であることを認識するようになってきている。 私たちの場所に対する記憶は、視覚ではなく、匂いや音と結びついていることが多い。 匂いは記憶構築の強力な引き金となる。 古い家の独特の匂いは、再訪したときに子供の頃の記憶を瞬時によみがえらせる。 したがって、原則的に、デザインは意図した雰囲気から始めることができる。 建築家は感情(「静けさ」、「躍動感」、「真剣さ」)を選び、注目を集めるための素材、光、音の戦略を立てることができる。
シックハウス症候群や季節性情動障害は、「聴覚、嗅覚、触覚、さらには味覚といった視覚以外の感覚を軽視しがち」な建築のせいだと言われている。 これに対抗するため、現在ではあらゆる感覚を統合するデザイナーもいる。 景観、手触りの良い仕上げ、自然な空気の流れ、香りを楽しむための厳選された植物まで。
実際には、無形の要素が初期のコンセプトの反復につながることが多い。 秩序とプロポーションはムードを形作ることができる: 狭くて薄暗い廊下は人を閉ざされた気分にさせるが、高くて光に満ちたホールは、畏敬の念や自由な感覚を呼び起こすことができる。
最近の論評では、こうした目に見えない性質、つまり部屋のプロポーション、動線、光は、「個人が環境とどのように相互作用するかに強力な影響力」を持ち、気分や社会的行動に影響を及ぼすと指摘されている。 うまく配置された開口部、音の緩衝材、吹き抜けは、間取りそのものと同じくらい影響力がある。
つまり、「最高のデザインとは、見て感じるもの」であり、建物の居住者に最も大きな影響を与えるのは、目に見えないものであることが多いのだ。 この洞察は、コンセプト開発において、建築家が目に見える形を最終決定する前に、雰囲気(静寂、換気、喚起させる匂い)を優先させることがあることを意味する。
素材、物語、希少性、創造性
素材や技術から始める建築家もいれば、ストーリーやイメージ、物語から始める建築家もいる。 その土地の重い石の床が洞窟のようなコンセプトを示唆することもあれば、その土地の神話を知ることで抽象的なフォルムを示唆することもある。 いずれの場合も、利用可能な資源が方向性を形作る。 今日、多くのデザイナーが材料の限界に直面している。希少性の建築が出現しつつあるのだ。
実際、創造的な制約がコンセプトの原動力となっている。 デザイナーは、デザインをコンクリート、木材、あるいはリサイクル素材といった単一の素材に限定し、その選択によって形や組み立てを決定することができる。 逆に、素材が豊富な環境は、より表現力豊かで記念碑的なコンセプトにつながるが、過剰になる危険性がある。
希少性と豊かさもまた、スケールと野心を形作る。 資源が乏しい状況では、建築家は時間をかけて意味のある、控えめで多機能な空間をデザインすることができるし、好景気の時代には、巨大な旗艦ビルを提案することもできる。
重要なのは、資源を意識しながらコンセプトを進化させることだ: 必要性から生まれたアイデア(レンガを使ったシェルター)が、思いがけず詩的な形を生み出すこともある。 どのような場合でも、建築家は個人的なビジョン(素材フェチや文化的なモチーフ)と現実的な要求のバランスを取ろうとする。 彼らは、コンセプトが建築可能で、使用可能で、目的に合ったものであることを確実にするために、(反復的なモデリングやピアレビューを通して)絶え間ない批判を通して、感情的な結びつきを和らげます。
個人的ビジョンと公共利用のバランス
建築家は、個人的な表現とユーザーや社会のニーズとの間で微妙な境界線を行き来している。 一方では、コンセプトはしばしば建築家自身の意図や物語を運ぶ。 一方で、建築物は他者のためにも機能しなければならない。 調査によれば、建築家は建物の機能にふさわしい特定の感情を引き出すことを目指している。例えば、住宅であれば幸福感、公共スペースであれば安全性、市民施設であれば記念碑性などである。
つまり、設計コンセプトは、どんなにパーソナライズされたものであっても、最終的にはユーザーの体験に沿ったものでなければならないということだ。 実際、建築家は共感と分析の両方を駆使し、(スケッチやビジュアライゼーションを通じて)アイデアに投資しながらも、フィードバックによってそれを洗練させていく。
この反射的なプロセス、つまり「この建物は人々の役に立つのか」という問いに答えることで、コンセプトのバランスが保たれるのだ。
儀式と空間構成
古代の神殿から現代のスタジアムに至るまで、儀式のパターンはしばしばデザインの指針となる。 建築はしばしば、儀式化された動きや方向性を伴う。
ヴァストゥ・シャーストラや風水のような伝統的な慣習は、宇宙の秩序と調和するように座席や方位を定めている。中世の大聖堂は、重要な祝祭日の日の出を示すために東西の軸線上に配置されている。
いずれの場合も、建築は形と秩序を用いて儀式を演出し、日常生活に意味を与えている。 儀式と神話を通して、建築は「無意味な混沌を意味のある秩序に変え」、人々がどのように移動し、集まり、空間に目的を見出すかを形作る。 現代の建築物は、この遺産を受け継いでいる: パレードや公的な式典のための町の広場、卒業式のための大学の四角形、記念式典のための記念の木立などである。
フィレンツェにあるウフィツィ美術館の中庭は、ルネサンス様式の列柱空間であり、芸術を通じた人々の「巡礼」を構造化している。 建築的には、移動と集いを整然と導く。
今日、デザイナーは意識的に儀式空間の類型を参考にしている。 現代的な瞑想ホールは円形の寺院のプランを反映しているかもしれないし、メモリアル・センターには儀式用の小道が含まれているかもしれない。 また、朝の通勤時間や昼休みの集いなど、世俗的な日常生活でさえも、現代の計画(広場やショッピングセンターの計画)を形作っている。 いずれの場合も、儀式の目に見えない論理(一連の出来事や意味)は、壁、中庭、視線に変換される。 このようにして、建築家は新しい建物に深い文化的な共鳴を与える。つまり、古今東西の人間の儀式の舞台となるのだ。
コンセプトの探求、直感と研究
建築において、コンセプトは発明されるのか、それとも発見されるのかがしばしば議論される。 実際には、この両方のプロセスが絡み合っている。 デザイナーは直感的な “ビジョン “を持つかもしれない-おそらく、個人的な比喩や洞察力の閃きによって火がついたのだろう-。 これは、ムードボードや抽象的なスケッチを技術的な形に変換するような単純なものである。 直感は導きの火花のような役割を果たすが、調査と分析がその根拠となる。 水の流れ」というアイデアに触発された建築家は、最初は曲線の壁を造形するかもしれないが、その後、空間のデザイン、ユーザーの回遊性、構造的な境界線と、コンセプトや最終製品への期待を融合させ、このアイデアを洗練させなければならない。
この直感と事実の協力は意図的なものである。 パターンがどこかに存在し、「発見」されるのを待っているというクリストファー・アレクサンダーの考えに従う建築家もいれば、より概念的な発明を採用する建築家もいる。 実際には、コンセプトはその場所の自然な幾何学的構造を研究したり、その歴史を読んだりすることから生まれるかもしれないし、その時点で建築家はそれが「ずっとそこにあった」と感じるかもしれない。 いずれにせよ、優れたコンセプトは、創造的なひらめきと現実的な精査の両方に耐えうるものでなければならない。
場所、歴史、エコロジーの役割
設計に先立ち、徹底した敷地分析が非常に重要である。 建築家は、地形、気候、植生、地域文化などを分析し、計画されたコンセプトが空間に適合することを確認する。 敷地分析は、敷地の物理的、環境的、社会文化的特性を明らかにすることで、「デザインの意思決定を形作る」のに役立ちます。
太陽の通り道、卓越風、既存の樹木は、マス、方向、素材の選択に影響を与える。 同様に、敷地の歴史や生態系に関する知識も、しばしばコンセプトに反映される。古い鉄道線路が直線的な建物形状にインスピレーションを与えたり、自然の植生が木材の多用につながることもある。
建築家は、海岸沿いの風景の塩辛い匂いや森林のひんやりとした土の匂いを思い出し、それを空間のデザインに取り入れるかもしれない。 設計者は、ある分析で推奨されているように、新しい建築が「周囲の環境にうまく溶け込む」ように努め、最終的に設計された建物が、そこにしかないものとして認識されるようにする。
文化的コンテクスト
コンセプトが成功するかどうかは、文化的な適応にかかっている。 ある社会では豊かな意味を持つ形であっても、別の社会では理解されなかったり、不快感を与えたりすることがある。
例えば、ある文化圏で神聖視されている色やシンボルが、別の文化圏ではまったく異なる意味合いを持つことがある。 このことを認識した上で、建築家は文化的な境界を越えつつ、コンセプトをコンテクストに適応させなければならない。 建築家は「このアイデアは地元のアイデンティティに合っているか」と問いかけ、時にはコンセプトを全面的に見直すこともある。 それがうまくいけば、建物は有名なアイコンとなり、衝突すれば、誤解されたり、拒絶されたりする。
現在の現実と未来のビジョン
建築コンセプトは、目に見える現在と目に見えない未来との交渉である。 現在の問題(ゾーニング、予算、機能)を解決すると同時に、将来の意味(コミュニティーの利用、遺産、適応性)を予測しなければならない。 ある意味、建築家の仕事は、今日のレンズのためだけでなく、未来の世代の想像力のために設計することでもある。 強力なコンセプトは、その場所や時代の根底にある特質を「発見」すると同時に、数年後にそれらがどのように体験されるかを「発明」する。 優れた建築的思考は、これらのスケールの間を行き来する。個人の記憶や文化的な層(目に見えない)を、今ここで人々に役立つ形(目に見える)へと導くのだ。
コンセプチュアル・デザインは、私たちが背負っている過去、意図している感情、実践している儀式、そして希望といった、隠されたものによって深く形作られる。 大陸を越えて理論と実際のプロジェクトを結びつけることで、私たちは建築家が空間のストーリーテラーになることを見ている。 描かれる線のひとつひとつが、内的な力と外的な力の相互作用から生まれ、現在への反応であると同時に未来への象徴的な架け橋となる建物を創造する。